
人生の想い出ー番外編
『昭和の幸せな食事風景』 rebone.tokyo
昭和の食卓というか、実家での食卓かもしれませんけど、まぁ大体同じようなものだと思います。
家での食事の前に、学校給食についてなんですけど、これは当時の人たちからもあまり共感されたことがないんですけど、うちの小学校でも特殊な年代だったのかな?
杉並区にある“高井戸第三小学校”っていうところに通っていたんですけど、6年間に一度もご飯が出てきたことがありませんでした。
だから僕は、『学校給食ってご飯は出ないんだ』って思っていたんですが、他校の人とか、同じ小学校卒業の人で違う年代の人と話をすると、『回数は少なかったけど、ご飯の時もあったよ』というのです。
昭和時代人気の給食メニュー
『瓶牛乳1本、食パン2枚、マーガリン』これが基本で、他におかずが一品。たまに冷凍ミカンとかのデザートあり。
今の小学校ではどんな給食がでているのかは分かりませんが、当時僕が通っていた小学校で人気があったメニューは
・ミートソーススパゲティ(ソースと麺が混ぜられていて、麺は短いんですけどとても好きでした)
・クジラの竜田揚げ(僕はそれほどでもなかったです。パンのおかずとしては、、、)
・クリームシチュー
・ビーフシチュー(たぶんビーフではなかった)
・カレーシチュー
この辺は、たぶん人気があったと思います。
他にもまだまだ沢山あったと思うんですけど、思い出せません。(;'∀')・・・
他には
・うどん
・味噌ラーメン
・肉団子と春雨のスープ
あと何だっけな?
うどんや味噌ラーメンの時は、出ていなかったように思うのですが、それ以外は殆ど食パン二枚とマーガリン、たまに揚げパン、それと牛乳でした。
僕の中で一番のハズレメニューは、ヒジキでした。
ヒジキと豆を和えたおかずで、どうやって食パンを二枚も食べろというのかかなり謎でした。
給食(のおかず)を食べきらないと、お昼休み遊びにいけませんでした。
たまにずっと座って食べさせられている子がいて、ちょっぴり同情しました。
夕暮れ時の憂鬱
よく『給食がまずい』といっている同級生がいましたが、僕と兄には謎でしたWHY?
美味しかったですよね♪まぁ、ひじきと食パン2枚はアレでしたけど・・・・他は・・。
実家の母親が作る料理が薄味だったんです。
給食がまずいって言っている子は、たぶん味が薄く感じたからなんでしょうけど、僕と兄にはちょうど美味しい味付けだったわけです。
母親が作る料理は、塩味の味付けが多かったです。ラーメン、おでん、うどんとかは全部塩味でした。
今考えればありがたいことですけど、料理の品数が多かった
ご飯、みそ汁、サラダ(量が多い)、それとおかずが2〜3品ありました。
なかなか多かったですよ、僕はお菓子大魔王だったので、余計食べられないんですよ。全部は。
大人になってから母親は『たしかに少し量が多かったかも』っていっていました。
4歳年上の兄と、5歳年上の姉と同じ食事メニューでしたから。
子供の頃、夕食の時間がほんと嫌いでした(贅沢言ってんじゃねえよ)
僕は子供の頃、夕暮れ時が嫌いでした。
なぜって、それは家に帰って食事が待っているから
考えてみたら、とても贅沢な話なんですけどね。。。
ペリカン
小さい頃僕は父から『ペリカン』て呼ばれてました。
食べ物を口の中いっぱいに頬張っている姿がペリカンぽかったらしいす。
とりあえず、目の前にある食事を入れ続けるんですね。
口の中にあるご飯を飲み込まずに次から次へと口の中に放り込んでいるうちに、どんどん口が膨らんできて、余計に飲み込み辛くなるんです
大量の食事を目の前から減らす為に、どんどん口の中に放り込んでいたんだと思います。
でも詰め込み過ぎて、飲み込み辛くて、、、、そんな毎日でした。なので夕暮れ時は嫌いでした。
口の中にご飯を入れたまま、中々飲み込めずにいるうちに段々と眠くなってくるんです
現実逃避からか、そのうち睡魔が襲ってくるんですよ(マヂで!)コックリコックリ
ちなみに、僕小学校の高学年くらいまで赤ちゃん用の、みんなより高くて狭い椅子に座らされていたんですね。
あっ だから幼児帰りしてたのか〜
で、そのうち母親が『そんなに眠いんだったら、ご飯やめてさっさと寝なさい』
そう言われた途端に目が覚めるんですよ。人間て不思議ですね〜
僕は、『は〜い』と言って、サラダにラップをかけて冷蔵庫にしまってテレビをポチっと
ご飯とみそ汁は残してはいけなくて、おかずに関しては覚えていませんが、サラダだけはラップして次の日に食べればよいので、時たまそうしていました。
※高井戸幼稚園の卒園式
僕が子供の頃の食卓は、あまり肉料理は出なかったですね。母親がお肉嫌いだったというのもあるでしょうね。
オムレツとかハンバーグは出ていたような気がしますが、焼き肉とかステーキは家ではもちろん、外でも食べた記憶がありません。
鶏肉はたまに出ていました、骨付きでクの字に曲がったやつが。
全体的に僕には量が多すぎたので、夕食は苦痛な時間でしかありませんでした。
ある日、外で兄と一緒に遊んでいたときに僕がポツリとつぶやいたことがあるそうです『イヤだなぁ・・・』と。
兄が理由を聞くと、『日が暮れたら家に帰ってご飯を食べなくちゃいけないから』と答えてたみたいです。
僕は忘れていましたが、兄が覚えていて、その話を教えてくれました。
そのときの僕は、めっちゃブルー入ってたみたいです。
食べられるだけでありがたいのに、と今なら思えますけどね。
食事に関しては父から、世界では物を食べることができない子供が沢山いること、『食べられない誰かの代わりに食べさせてもらっているのだから決して無駄にしてはならない』と徹底的に言われてきました。
幸せな食事風景
鮮明に覚えているのは、“甘シャケ”の登場です。
それまでは、塩鮭でしょっぱかったんですよ。とっても。
一切れでご飯何倍もいけるほど(そこまでしょっぱくありません。盛りました)
でも、かなりしょっぱかったんですけど、初めて甘シャケ食べた時は美味しかったなぁ・・・
僕が“美味しいなぁ”と思って食べていると母親が、『ばばちゃんは塩鮭の方が好きなんだよね』と言っていました。
食事の好みも、育った時代背景とか、環境が関わっているんですね。
僕は、母の料理より祖母のばばちゃんが作ってくれた料理の方が好きでした。
たまに小腹が空いた時に作ってくれた “すいとん” と “焼きおにぎり” は絶品でした
学生のころ家に遊びにきた後輩が焼きおにぎりを食べて、数十年後に再会した時に、『未だにあれより美味しい焼きおにぎりを食べたことがない』と言ってくれる程でした。
すいとんはしょうゆ味で、焼きおにぎりは味噌味でした。
萬福飯店
実家を想い出すときに、家族揃っての食事をとても懐かしく感じられるのが、たまに家族6人で食べに行った『萬福飯店』でした。
実家から上北沢の駅へ向かう途中にあったのですが、何を食べてもメチャメチャ美味しくて、家族全員笑顔での食事だったので、強烈に印象深く残っています。
今では、そのお店はもうありませんが、その店の料理人の兄弟子だという方の同名のお店は、まだ永福町の駅前にあるようです。
永福町のお店にも行きましたが、僕は上北沢のお店の方が好きでしたが、水餃子は同じ系統の水餃子でした。
つるつるした薄い皮の水餃子で、ピリ辛ソースがかかっているんです。水餃子は萬福飯店のやつが一番好きです。

あの頃は、今よりも日本全体に勢いがあったので、値段も高めで良い食材を使えていたせいもあるかもしれません。
家族6人で行って、だいたい三万円くらいしていたと思います。
40年前の当時で、大皿料理が1200〜2300円くらいしていたと思います。
大皿料理をたらふく(十数皿以上)頼んで、最後に一人一杯ずつシメでラーメンを食べていました。
帰り道は、全員お腹パンパンで歩くのもシンドいくらいでした。でも幸せでした。
高校に進学してから部活の関係で行くことができなくなっているうちに、お店は立ち退きでなくなっていました。
永福町のお店に行った時に、兄弟子だという人に聞いてみましたが、今は何処にいるのか分からないそうです。
僕の中では、今でも円卓を囲んで家族6人で笑いながらした食事が、昭和時代の一番幸せな食事風景です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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帰りたくなる場所に続きます
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